
「震災前に54基あった原発は、いま何基動いているのか」という問いは、ある時点の地図ではなく、稼働基数と設備利用率の推移を時系列で並べると見えてきます。震災前のピーク・稼働ゼロ・緩やかな回復という流れを、1つずつ図解で追っていきます。
東日本大震災が起きた2011年3月、日本では54基の商業発電炉が運転していました(ほかに3基が建設中)。当時、国内で使う電力の約3割を原子力がまかなっていたとされます。しかし福島第一原発の事故後、これらの炉は定期検査などで順次停止し、2012年には稼働がゼロになる時期もありました。2013年に施行された新規制基準のもとで再稼働したのは、2026年2月時点で累計15基にとどまります。
本記事では、日本原子力産業協会(JAIF)の「日本の原子力発電炉(運転中、建設中、計画中など)」一覧や、資源エネルギー庁・原子力規制委員会などの一次情報をもとに、稼働基数の50年推移・設備利用率の回復曲線・震災前54基の現在地内訳・再稼働15基のタイムライン・廃炉24基のゆくえ・炉型と地域の偏り、という6つの図解で「震災を挟んで原発の稼働がどう動いたか」を整理します。なお本記事は原発の是非や安全性の評価には踏み込まず、公表データと制度上の事実の整理に徹します。
震災前に54基あった商業炉は、いま何基が動いているのか?
事故後いったん全基が停止し、稼働ゼロの時期もあった。新規制基準のもとで再稼働したのは15基(2026年2月時点・累計)。一方、54基のうち24基は廃炉が決まっている。
本記事は楓が調査・編集しています。掲載情報は執筆時点のものです。数値・制度・サービス内容は変更される場合があるため、最新情報は各公式サイトでご確認ください。
震災前の54基から — 稼働基数はどう動いたか

50年の動きは、ある時点の地図ではなく1本の折れ線で見ると、立ち上がり・ピーク・急落・緩やかな回復という局面が一目で並びます。まずは全体の波形をつかみましょう。
日本の商業用原子力発電は、1966年に営業運転を始めた東海発電所を皮切りに、1970年代から2000年代にかけて炉の数を増やしてきました。1970年には敦賀1号機・美浜1号機、翌1971年には福島第一1号機が運転を開始し、その後も各電力会社が炉を建設していきます。日本原子力産業協会(JAIF)の記録によれば、東日本大震災が起きた2011年3月11日の時点で、運転中だった商業発電炉は54基(ほかに建設中3基)あり、これが運転基数のピークでした。
福島第一原発の事故後、運転中だった炉は定期検査入りなどで次々と停止しました。2012年5月には国内の商業炉がすべて停止し、その後は大飯3・4号機の特別措置による一時的な発電(2012年7月〜2013年9月)を挟みつつ、ふたたび稼働ゼロの状態になりました。震災前に54基が動いていた状態から、わずか1年あまりで稼働基数がゼロ近くまで落ち込んだことになります。
流れが変わったのは、2013年7月に新規制基準が施行されてからです。この基準に適合した炉から再稼働が認められるようになり、2015年8月の川内1号機(九州電力)を最初に、稼働基数は少しずつ戻りはじめました。ただし震災前の54基と比べれば回復のペースは緩やかで、新規制基準のもとで発電を再開した炉は2026年2月時点で累計15基です。なお上の折れ線は「各年に運転実績のあった商業炉の数(廃炉を除く)」を示しており、1970〜2010年代の立ち上がり期は運転開始ベースの概数、2011年以降はJAIFの確定値に基づきます。
設備利用率の回復曲線 — ゼロから約34%へ

「何基あるか」と「どれだけ動いたか」は別の指標です。設備利用率の折れ線を重ねると、稼働の実態が基数とは違う角度から見えてきます。
原子力がどれだけ働いたかを示すのが設備利用率です。これは、ある期間にフル出力で運転し続けた場合に対して、実際にどれだけ発電したかの割合を表します。震災前の日本の商業炉は、定期検査やトラブルの影響を受けながらも、おおむね年間で6〜7割程度の利用率で推移していました。
事故後の2012〜2014年は、ほとんどの炉が止まったため、年間の平均設備利用率はほぼゼロに近い水準まで落ち込みました。発電する炉がなければ、設備としての原子力はあっても電力をほとんど生み出さない状態が続いたことになります。
再稼働が進むにつれ、利用率も少しずつ戻りました。JAIFの集計では、年間の平均設備利用率は2020年が15.5%、2023年が28.0%、2024年が30.6%、2025年が34.1%と上昇しています。2026年は1月が38.9%、2月が32.4%(いずれも月次速報)でした。ただし2025年の34.1%という水準は、震災前の7割前後とくらべればなお半分程度にとどまっており、稼働基数の回復が緩やかであることと整合します。
54基はいまどこに — 再稼働・審査中・廃炉の内訳

震災前に動いていた54基がいま「どこにいるのか」は、内訳のバーで分解すると分かりやすくなります。再稼働・審査中・廃炉の割合を1枚で見比べてみましょう。
震災前に54基あった商業炉は、その後どこへ向かったのか。資源エネルギー庁とJAIFの集計(2026年2月時点)によれば、震災時に運転中だった54基に、建設中だった3基と、震災前にすでに廃止が決まっていた炉を加えた全商業炉60基は、現在いくつかの状態に分かれています。
新規制基準のもとで再稼働したのが15基、設置変更の許可は得たが未稼働が3基、審査中が8基、まだ審査を申請していないのが10基、そして廃炉が決まったのが24基です。建設中だった大間・東通1(東京電力)・島根3の3基は、このうち審査中・未申請の区分に含まれています。
目を引くのは、全体の約4割にあたる24基が廃炉に向かった点です。震災前は54基が運転していた状態だったことを思い出すと、再稼働した15基と廃炉が決まった24基という対比は、震災を挟んで原子力の姿が大きく変わったことを示しています。なお「再稼働15基」は新規制基準に適合して発電を再開した炉の累計であり、定期検査などで日々変わる「現に発電している炉数」とは別の概念です。
再稼働15基のタイムライン — 川内から柏崎刈羽へ

再稼働した炉を発電再開の順に並べると、いつ・どこから戻ってきたのかという順番が見えてきます。時系列のタイムラインで追ってみます。
新規制基準のもとで再稼働した15基を、発電再開(発送電開始)の順に並べると、再稼働の歩みが時系列で見えてきます。最初は2015年8月の九州電力 川内1号機。続いて同年10月に川内2号機、2016年に高浜3号機(関西電力)と伊方3号機(四国電力)が発電を再開しました。
2018年には大飯3・4号機(関西電力)と玄海3・4号機(九州電力)が相次いで再稼働し、この年だけで4基が発電を再開しました。その後はペースが緩やかになり、2021年に美浜3号機、2023年に高浜1・2号機が続きます。
流れが変わったのは2024年です。11月に東北電力の女川2号機が、東日本で初めて、また福島第一と同じ沸騰水型(BWR)として初めて再稼働しました。続いて12月に中国電力の島根2号機、そして2026年2月には東京電力の柏崎刈羽6号機が15基目として発電を再開しています。最初の川内1号機からおよそ10年をかけて、再稼働は累計15基に達しました。
廃炉24基のゆくえ — 福島第一と老朽化炉

廃炉が決まった24基も、理由で分けると性格が違います。事故炉と老朽化炉を分けて、マスの図で数えてみましょう。
廃炉が決まった24基は、大きく2つのグループに分かれます。ひとつは福島第一原発の1〜6号機(事故炉)の6基です。もうひとつは、運転開始から40年を超えるなどの老朽化や、安全対策にかかる費用と採算を理由に廃止が決まった18基です。
老朽化・採算による18基には、敦賀1号機、美浜1・2号機、玄海1号機、島根1号機、伊方1・2号機、大飯1・2号機、女川1号機、玄海2号機、福島第二1〜4号機などが含まれます。これらの多くは、事故後に導入された「原則40年・1回に限り20年延長可」という運転期間ルールや、新規制基準への対応費用を踏まえて、各電力会社が廃止を決めた炉です。
廃炉が決まっても、すぐに更地になるわけではありません。原子炉の解体や核燃料・放射性廃棄物の取り扱いには長い時間がかかり、廃止措置(解体)の完了予定は炉によって2040年代から2060年代にまで及びます。福島第一の6基についても、冷温停止からおよそ30〜40年後に廃止措置を完了させる計画です。
炉型と地域の偏り — PWR先行・BWR後発

再稼働には地理と炉型の偏りがあります。炉型と地域の2本のバーで、どこから戻ってきたのかを比べてみます。
再稼働した15基を炉型と地域で分けると、はっきりとした偏りが見えます。日本の商業炉には大きく加圧水型(PWR)と沸騰水型(BWR)があり、福島第一原発は沸騰水型でした。
再稼働15基のうち12基は加圧水型で、いずれも西日本に立地します。地域別に見ると、西日本が13基、東日本が2基です。九州電力の川内(2015年)を皮切りに、関西電力の高浜・大飯・美浜、四国電力の伊方、九州電力の玄海など、西日本の加圧水型から再稼働が進みました。
一方、福島第一と同じ沸騰水型や、東日本での再稼働は遅れました。東日本で最初に再稼働したのは2024年の東北電力 女川2号機で、これが沸騰水型としても初の再稼働です。再稼働には新規制基準への適合に加え、立地する自治体の同意という制度上の手続きが必要であり、これらの違いが炉型・地域の偏りの背景にあります。楓は原発の是非や安全性そのものについては判断を示しませんが、再稼働の順番に地理と炉型の差があったことは、データから観察できる事実です。
楓のまとめ|震災を挟んで、原発の稼働はどう変わったか

ここまでの6枚の図解を一通り並べると、震災を挟んで原発の稼働がどう動いたかが、推移の形として見えてきます。3つの観察事実に整理してみます。
「震災前に54基あった原発は、いま何基動いているのか」という問いに対して、本記事で並べた図解は、稼働基数も設備利用率も、急落のあとに緩やかな回復をたどっていることを示してきました。数え方や時点の取り方によって見え方が変わるため、ここでは原発の是非を論じるのではなく、データから観察できる事実として整理しておきます。
3つの観察事実を重ねて読むと、震災を挟んだ原発の稼働は、ピーク54基からの急落・稼働ゼロ・15基までの緩やかな回復という推移と、再稼働・審査中・廃炉への分岐、そして炉型と地域の偏りが重なって生まれている景色として整理できます。「いま何基動いているのか」という問いへの答えは、いつの時点を、どの数え方で見るかによって変わる、という観察事実そのものが、震災後の原子力をめぐる現在地を最もよく映しています。
よくある質問(FAQ)

原発の稼働状況を読むときは、「いつの時点か」「どの数え方か」「現に発電中か累計か」の3点をセットで確認してください。同じ数字でも、この3点で意味が変わります。
Q1. 東日本大震災の前、日本には原発が何基ありましたか?
2011年3月11日の震災発生時、運転中だった商業発電炉は54基で、ほかに3基が建設中でした(日本原子力産業協会)。当時、国内で使う電力の約30%前後を原子力でまかなっていたとされます。事故後、これらの炉は定期検査などで順次停止し、2012年には稼働がゼロになる時期もありました。
Q2. いま再稼働している原発は何基ですか?
2013年に施行された新規制基準に適合して発電を再開した炉は、2026年2月時点で累計15基です(東京電力の柏崎刈羽6号機が15基目)。ただし「現に発電している炉数」は定期検査などで日々変動します。震災前の54基のうち、24基はすでに廃炉が決まっており、ほかに審査中が8基、審査を申請していない炉が10基あります(資源エネルギー庁・日本原子力産業協会)。
Q3. 再稼働した原発はどこに多いのですか?
再稼働は当初、加圧水型(PWR)を使う西日本の発電所に集中しました。九州電力の川内(2015年)を皮切りに、関西電力の高浜・大飯・美浜、四国電力の伊方、九州電力の玄海などが続きました。福島第一原発と同じ沸騰水型(BWR)や東日本での再稼働は遅れ、東日本で最初に再稼働したのは2024年の東北電力 女川2号機です。再稼働には新規制基準への適合に加え、立地自治体の同意が必要です。
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