
米の歴史は、制度の年だけを並べても量の変化が見えず、収穫量だけを並べても制度との前後が見えません。制度の年と水稲の収穫量を同じ年の軸に重ねると、いつ、何が、どれだけ変わったのかを1枚で確認できます。
日本の水稲は、全国統計が始まった1883年産から2025年産までの143年で、作付面積が44%減り、10a当たりの収量が3.1倍になりました。農林水産省の作物統計によると、作付面積は256.5万haから142.5万haへ、10a当たり収量は178kgから547kgへ変わっています。収穫量が最も多かったのは1967年産の1,425.7万tで、2025年産は779.0万tでした。
食べる量も変わりました。食料需給表の「1人1年当たり供給純食料」(以下、1人当たり消費量)は、1962年度の118.3kgが最大で、2025年度の概算値は52.0kgです。1日当たりに直すと、324.0gから142.6gになります。
本記事では、食糧管理法、生産調整、食糧法といった制度の年と収穫量を重ねた年表図を中心に、作付面積、10a当たり収量、作況指数、1人当たり消費量を順に整理します。対象は水稲で、全国統計のある1883年産以降に絞りました。
日本の米づくりは、明治からどう変わったのか?
1883年から143年。作付面積は44%減り、10a当たり収量は3.1倍になった。
本記事は楓が調査・編集しています。掲載情報は執筆時点のものです。数値・制度・サービス内容は変更される場合があるため、最新情報は各公式サイトでご確認ください。
米の収穫量は143年でどう動いたか|最大は1967年産の1,425.7万t

上の段に制度と統計上の節目、下の段に水稲の収穫量を置き、横軸は年を等間隔にとりました。制度が変わった年と収穫量の動きを、同じ軸の上で見比べられます。
※ 公式データをもとに、可視化pedia編集部が独自に集計・編集したものです。
1883年産の収穫量は456.6万tでした。翌1884年産の404.1万tが143年の中で最も少なく、その後は増減を繰り返しながら増えていきます。1933年産に1,043.9万tとなり、初めて1,000万tを超えました。
1,000万t以上の年が続くようになったのは1955年産からです。1955年産は1,207.3万tで、1967年産に1,425.7万tの最大に達しました。1,400万tを超えたのは、1967年産と翌1968年産(1,422.3万t)の2年だけです。
1,000万t以上だった年は、1933年産から1997年産までに41回あります。最後は1997年産の1,000.4万tで、1998年産からは1,000万tを下回っています。2025年産は779.0万tで、最大だった1967年産の55%にあたります。
図の下の段には、前後の年より大きく下がった年が2つ見えます。1945年産の582.3万tと、1993年産の781.1万tです。この2つの年は、あとの章で作況指数と合わせて取り上げます。
作付面積は減り、10a当たりの収量は増えた|面積44%減・収量3.1倍

収穫量は、作付面積と10a当たり収量の掛け算で決まります。2つを同じ年の目盛りで上下に並べると、面積が動いた時期と収量が伸びた時期を別々に確認できます。
※ 公式データをもとに、可視化pedia編集部が独自に集計・編集したものです。
作付面積は1883年産の256.5万haから少しずつ広がり、1927年産に初めて300万haを超えました。300万ha以上だったのは1927〜1942年産と1955〜1969年産で、最大は1969年産の317.3万haです。
1970年産は283.6万ha、1971年産は262.6万haで、1969年産からの2年で54.7万ha減りました。1996年産に200万haを下回り、2016年産からは150万ha未満が続いています。最小は2023年産の134.4万haで、2025年産は142.5万haでした。
10a当たり収量は、1883年産の178kgから2025年産の547kgまで増えました。初めて300kgを超えたのは1919年産(302kg)、400kgは1960年産(401kg)、500kgは1984年産(517kg)です。300kgから400kgまでが41年、400kgから500kgまでが24年でした。
2025年産の547kgは143年の中で最大です。それまでの最大は、1994年産と2016年産の544kgでした。面積が44%減り、収量が3.1倍になった結果、2025年産の収穫量は1883年産の1.7倍になっています。米をつくる人の数については、農業従事者の推移をまとめた記事で整理しています。
始点・最大の年・最新の3時点で比べる
| 指標 | 始点 | 最大の年 | 最新 | 始点との比 |
|---|---|---|---|---|
| 作付面積 | 256.5万ha | 317.3万ha(1969年産) | 142.5万ha | 44%減 |
| 10a当たり収量 | 178kg | 547kg(2025年産) | 547kg | 3.1倍 |
| 収穫量 | 456.6万t | 1,425.7万t(1967年産) | 779.0万t | 1.7倍 |
| 1人当たり消費量 | 114.9kg(1960年度) | 118.3kg(1962年度) | 52.0kg(2025年度・概算) | 0.45倍 |
水稲の3指標は始点が1883年産、最新が2025年産です。1人当たり消費量は食料需給表のある1960年度が始点で、最新は2025年度の概算値です。
※ 公式データをもとに、可視化pedia編集部が独自に集計・編集したものです。
米の制度はいつ変わったか|1942年の食糧管理法から2025年の備蓄米の売渡しまで

制度は、名称と年を農林水産省の資料の記述どおりに並べます。それぞれの年の作付面積や収穫量を添えて、数字と一緒に確認していきます。
農林水産省の審議会資料によると、食糧管理法は1942年から1995年までの法律です。1942年産の水稲は、作付面積が300.1万ha、収穫量が985.9万tでした。同じ資料には、1969年に国の管理外の自主流通米制度が導入されたとあります。
米の生産調整について、農林水産省は2009年の資料で「昭和44年に試行され、46年に本格的に実施」と記しています。西暦では1969年の試行、1971年の本格実施です。同省の別の資料には、開始を1969年とするものと1971年とするものがあります。作付面積は1969年産が317.3万ha、1971年産が262.6万haでした。
過剰米の処理は2回行われました。食糧部会の資料では、第1次が1971〜1974年で処分数量は約740万t、第2次が1979〜1983年で約600万tです。総損失額は、第1次が約1兆円、第2次が約2兆円とされています。
1995年には、食糧管理法から主要食糧法(食糧法)へ移りました。審議会資料には、1998年に備蓄運営ルールを導入、2004年の食糧法改正で計画流通制度を廃止、2007年産から農業者・農業者団体が主体的に需給調整を行う仕組みへ移行、と並んでいます。
令和元年度の食料・農業・農村白書によると、2018年産から行政による生産数量目標の配分が廃止されました。2018年産の作付面積は147.0万ha、収穫量は778.0万tです。
2025年には、政府備蓄米の売渡しが行われました。令和7年度の白書によると、3月と4月の入札で約31万t、5月26日からの随意契約で約28万t、8月1日からの加工原材料用で約5万tです。米の値段の動きは、米の価格の推移をまとめた記事で扱っています。
収穫量が大きく落ちた年|作況指数は1945年産が67、1993年産が74

作況指数は、その年の10a当たり収量を平年の収量と比べた値で、平年が100です。指数のある1926年産以降で90以下だった年を、低い順に横棒で並べました。
※ 公式データをもとに、可視化pedia編集部が独自に集計・編集したものです。
作況指数が最も低かったのは1945年産の67です。10a当たり収量は208kg、収穫量は582.3万tで、前年の1944年産(866.6万t)より284.3万t少なくなりました。1926〜1947年産の指数は、過去7か年のうち最高と最低を除く5か年の平均を平年とみなして計算されています。
次に低いのは1993年産の74です。10a当たり収量は367kg、収穫量は781.1万tでした。前年の1992年産は1,054.6万tで、1年で273.5万t少なくなっています。翌1994年産は作況指数109、収穫量1,196.1万tでした。
食料需給表によると、米の輸入量は1992年度の9.2万tに対し、1993年度は104.9万t、1994年度は183.5万tでした。審議会資料は「1993年産米の未曾有の不作に伴う緊急輸入の実施」と記しています。1995〜2024年度の輸入量は、毎年度49.5万t以上です。
残りの6つの年は、1953年産が84、1934年産が85、1980年産が87、1941年産が88、1931年産と2003年産が90です。2003年産の収穫量は777.9万tで、1993年産の781.1万tを下回りました。2003年産の作付面積は166.0万haで、1993年産の212.7万haより46.7万ha小さくなっています。
なお、2025年産は作況指数が公表されていません。農林水産省は2025年産から、直近5年のうち最高と最低を除いた3年の平均収量と比べる「作況単収指数」を公表しており、2025年産の値は102です。
1人当たりの消費量はどう変わったか|1962年度118.3kgから2025年度52.0kg

食料需給表は1960年度から続く統計です。米の1人1年当たり供給純食料を1本の折れ線にすると、最大の年度と直近の水準を同じ図で確認できます。
※ 公式データをもとに、可視化pedia編集部が独自に集計・編集したものです。
食料需給表の最初の年度である1960年度は114.9kgでした。1962年度に118.3kgで最大となり、1965年度は111.7kg、1975年度は88.0kg、1985年度は74.6kgです。100kg以上だったのは1968年度の100.1kgが最後でした。
1995年度は67.8kg、2005年度は61.4kg、2015年度は54.6kgでした。2023年度の50.3kgが1960年度以降の最小で、2024年度は53.3kg、2025年度の概算値は52.0kgです。2025年度の52.0kgは、最大だった1962年度の44%の水準にあたります。
1日当たりの値も公表されています。1962年度は324.0g、2025年度(概算値)は142.6gです。2024年度の値は、確報の統計表では53.4kg、2026年8月公表の資料では53.3kgで、本記事は8月の値を使いました。食料全体の自給率は、食料自給率の推移をまとめた記事で扱っています。
米の年表|1883年から2025年までの21の年

図にラベルを付けられなかった年も含めて、制度と統計上の節目を古い順に21件並べます。添えた数字は、作物統計と食料需給表、農林水産省の資料の値です。
21件のうち、制度に関する記述がある行は、1942年、1969年、1971年、1979年、1995年、1998年、2004年、2007年、2018年、2025年の10件です。残りの11件は、作物統計と食料需給表の数字から読み取れる節目で、最大や最小の年、初めて区切りの値を超えた年を載せています。
楓のまとめ|年表から読み取れる3つの観察

ここまでの図と年表を、3つの観察に整理します。評価や予想は加えず、数字で確認できたことだけを並べます。
「日本の米づくりは、明治からどう変わったのか」という問いには、年表そのものが答えになります。水稲の全国統計がある143年分を、収穫量、作付面積と10a当たり収量、制度、1人当たり消費量の順に見てきました。
3つを重ねると、収穫量が最大だった1967年産、作付面積が最大だった1969年産、1人当たり消費量が最大だった1962年度は、3つとも1960年代にあります。10a当たり収量だけは、最新の2025年産が最大です。
よくある質問(FAQ)

米の統計を読むときは、「年産」と「年度」の違い、水稲だけか陸稲を含むか、ふるい目幅の基準の3点を確認してください。同じ年でも、基準によって数字が変わります。
Q1. 米の収穫量が最も多かったのはいつですか?
水稲の収穫量が最も多かったのは1967年産で、1,425.7万tです。翌1968年産も1,422.3万tで、1,400万tを超えたのはこの2年だけでした。2025年産は779.0万tです。数値は農林水産省の作物統計による子実用の値で、ふるい目幅1.70mmベースです。
Q2. 米の統計はいつからありますか?
農林水産省の作物統計には、水稲の全国の作付面積、10a当たり収量、収穫量が1883年産から載っています。作況指数は1926年産から、1人当たり消費量にあたる食料需給表の供給純食料は1960年度からです。それより前の時代は、同じ形の年ごとの統計がありません。
Q3. 日本人は1年にどれくらい米を食べていますか?
食料需給表の1人1年当たり供給純食料は、2025年度の概算値で52.0kg、1日当たりでは142.6gです。確定値のある2024年度は53.3kgでした。最大だったのは1962年度の118.3kgで、2025年度はその44%の水準です。
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