
出生数のように長いスパンで動く統計は、単年のニュースではなく126年の折れ線で見るのが近道です。二つの山とその後の長い下り坂を1枚に収めると、いまの67万人という数字が全体のどの位置にあるのかがはっきり見えてきます。
日本の出生数は、1949年(昭和24年)の269万6,638人をピークに減少を続け、2025年(令和7年)は67万1,236人(概数)となりました。統計開始以来の最少を10年連続で更新し、ピークの約4分の1の水準(24.9%・筆者試算)まで縮小しています。厚生労働省が2026年6月3日に公表した「人口動態統計月報年計(概数)」に基づく数値です。
本記事では、厚生労働省「人口動態統計」の統計表(第1表〜第4表)と結果の概要を一次情報として、1899年から2025年までの126年フルスパンの折れ線・大台割れの年表・母の年齢構成のシフトなどを図解で整理します。予測や原因の断定には踏み込まず、公式データが示す推移を観察していきます。
日本の出生数は、どこまで減ったのでしょうか?
ピークの約4分の1へ。統計開始以来の最少を10年連続で更新しています。
本記事は楓が調査・編集しています。掲載情報は執筆時点のものです。数値・制度・サービス内容は変更される場合があるため、最新情報は各公式サイトでご確認ください。
出生数126年の全体推移|1899年から2025年まで

126年分を1本の折れ線にすると、二つの山・ひのえうまの谷・2016年以降の連続した大台割れが同じ画面に並びます。欠測の3年間は線をつながず、データの切れ目もそのまま見えるようにしています。
※ 公式データをもとに、可視化pedia編集部が独自に集計・編集したものです。
統計の起点である1899年(明治32年)の出生数は138万6,981人でした。その後は増加基調が続き、1920年(大正9年)に202万5,564人と初めて200万人台に乗ります。戦前は200万人前後の高い水準で推移し、1944〜46年は戦災による資料喪失等のため欠測となっています。
戦後の1947〜49年には第1次ベビーブームが訪れました。1949年の269万6,638人は、126年間で一度も更新されていない史上最多の記録です。その後は減少に転じ、1971〜74年の第2次ベビーブームで再び200万人台を回復しますが、1975年以降は一度も200万人に届いていません。
2016年(平成28年)には97万7,242人と、初めて100万人を割り込みました。以降は毎年最少を更新し続け、2024年に68万6,173人で初の70万人割れ(確定数)、2025年は67万1,236人(概数)となっています。なお、1947〜72年の数値には沖縄県が含まれていません。
二つのベビーブームとひのえうま|1949年・1973年・1966年

山の高さは、3本のバーで並べると差が直感的につかめます。第1次と第2次の頂点、そして2025年を同じ物差しの上に置いてみます。
※ 公式データをもとに、可視化pedia編集部が独自に集計・編集したものです。
第1次ベビーブーム(1947〜49年)では3年連続で260万人を超え、頂点の1949年は269万6,638人でした。第2次ベビーブーム(1971〜74年)の頂点は1973年の209万1,983人で、第1次より約60万人低い山です。2025年の67万1,236人(概数)は、第1次の頂点の24.9%、第2次の頂点の32.1%にあたります(いずれも筆者試算)。
途中には1966年(昭和41年)の「ひのえうま」があります。この年の出生数は136万974人で、前年の182万3,697人・翌年の193万5,647人と比べて単年だけ大きく落ち込みました。前後の年より40万人以上少ない単年の谷は、126年の系列でこの年だけに見られる形です。
大台割れの年表|200万人から70万人まで

大台を割った年を階段状に並べると、間隔の縮まり方が見えてきます。150万人から100万人までは32年、100万人から70万人まではわずか8年です。
※ 公式データをもとに、可視化pedia編集部が独自に集計・編集したものです。
出生数が節目の大台を下回った年を並べると、1975年に200万人(第2次ベビーブーム後)、1984年に150万人を下回りました。1953年に一度200万人を割った後、第2次ベビーブーム期に200万人台を回復した経緯があるため、図では1975年を起点にしています。
2016年の100万人割れ以降はペースが変わります。2019年に90万人、2022年に80万人、2024年に70万人と、大台を次々に割り込みました。150万人割れから100万人割れまでに32年かかった一方、100万人割れから70万人割れまでは8年です。
母の年齢構成のシフト|1985年・2005年・2025年

どの年齢層で生まれているかは、100%の帯グラフで並べると重心の移動が見えます。40年間で帯の中心が右へずれていく形です。
※ 公式データをもとに、可視化pedia編集部が独自に集計・編集したものです。
母の年齢(5歳階級)別に見ると、1985年(昭和60年)は25〜29歳が68万2,885人で最多、総数に占める構成比は47.7%(筆者試算)でした。2005年には30〜34歳(40万4,700人・38.1%)が最多に入れ替わり、2025年(概数)も30〜34歳(25万5,665人・38.1%)が最多です。
40〜44歳の出生数は、1985年の8,224人から2025年の4万1,631人へと約5倍に増えました。一方、2025年に前年より出生数が増えた年齢層は30〜34歳のみ(+2,221人)です。第1子出生時の母の平均年齢は1975年の25.7歳から2025年は31.0歳になっており、最多層は40年間で25〜29歳から30〜34歳へ移り、平均年齢は5歳あまり上がりました。
出生をめぐる関連指標|出生率1.14と自然増減△91.8万人

出生数の隣には、率と差引きの2つの指標を置いて観察します。折れ線の合計特殊出生率と、出生数から死亡数を引いた自然増減です。
※ 公式データをもとに、可視化pedia編集部が独自に集計・編集したものです。
合計特殊出生率は、1947年の4.54から低下を続け、1966年のひのえうまで1.58まで下がりました。1989年には1.57となり、2005年に1.26まで低下した後、2015年には1.45まで持ち直します。しかし2025年は1.14(概数)となり、10年連続の低下で統計開始以来の最低を更新しました。
※ 公式データをもとに、可視化pedia編集部が独自に集計・編集したものです。
2025年の死亡数は158万9,489人(概数)で、出生数67万1,236人を91万8,253人上回りました。出生数から死亡数を引いた自然増減は△91万8,253人で、19年連続のマイナスです。出生順位別では第1子31万9,158人・第2子24万281人・第3子以上11万1,797人となっています。
楓のまとめ|126年の系列が示す3つの観察事実

126年の折れ線・大台割れ・年齢構成を一通り並べたところで、数字が示している事実を3点に整理します。
「日本の出生数はどこまで減ったのか」という問いに対して、本記事の図解は126年の長期系列・大台割れの間隔・母の年齢構成という3つの角度から推移を示してきました。原因や対策の評価には踏み込まず、公式データから読み取れる観察事実として整理しておきます。
3つの観察事実を重ねると、いまの出生数は単年の落ち込みではなく、126年の系列の中で半世紀続く長い下り坂の最新地点にあることがわかります。ピークの約4分の1という水準と、大台割れの間隔の短縮が同時に進んでいるのが、2025年時点の出生数をめぐる観察の中心です。2025年の数値は概数のため、2026年9月に公表予定の確定数で改めて確認できます。
よくある質問(FAQ)

出生数の統計を読むときは、概数・確定数・速報の区別と、系列の切れ目(欠測・沖縄)の2点を確認してください。同じ「2025年の出生数」でも、どの数値を指しているかで値が変わります。
Q1. 「概数」「確定数」「速報」はどう違うのですか?
速報(2025年分は70万5,809人・2026年2月公表)は、日本で生まれた外国人などを含む届出ベースの集計です。概数(67万1,236人・2026年6月公表)は日本における日本人に絞った月報年計で、本記事はこの系列を使用しています。確定数は概数に若干の修正を加えたもので、2025年分の実数は2026年9月に公表予定です。3つは対象の定義が異なるため、2025年分では速報と概数のあいだに約3万5,000人の差があります。
Q2. 「ひのえうま」とは何ですか?
干支の丙午(ひのえうま)にあたる年のことで、直近は1966年(昭和41年)です。この年の出生数は136万974人で、前年より46万人あまり少ない単年の谷になりました。次の丙午にあたる2026年の出生数がどうなるかは、統計が公表されてから確認できます。
Q3. 出生数の統計はいつから取られているのですか?
厚生労働省「人口動態統計」の年次系列は1899年(明治32年)から始まり、2025年まで126年分が公表されています。ただし1944〜46年は戦災による資料喪失等で欠測、1947〜72年は沖縄県を含まない値です。長期の比較をする際は、この切れ目と対象範囲の違いを踏まえる必要があります。
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