
給食の歴史は、出来事を並べた年表だけだと「いつ何があったか」で止まります。年軸の下に実施率の棒を重ねると、制度ができた年と、給食が学校に広がっていった時期のずれまで1枚で見えてきます。
「給食の歴史」をさかのぼると、学校給食は1889年に山形県鶴岡町(現在の鶴岡市)の私立忠愛小学校で始まったとされ、2026年で137年になります。戦後の1954年に学校給食法が制定され、2025年5月時点では小学校の98.8%、中学校の90.2%(いずれも学校数に対する割合)が、主食・ミルク・おかずのそろう完全給食を実施しています。学校給食の137年は、制度が整っていく年表と、実施率が100%に近づいていく数字の両方で追うことができます。
給食費では、公立小学校の完全給食の平均月額が2025年度に5,196円でした。この月額は年間の食材費相当額を11か月で割った値なので、11か月分に戻すと年57,156円(5,196円×11)になります。2026年4月からは、国が公立小学校の給食費の負担を軽くする取り組みを始めました。
本記事では、文部科学省の「学制百年史」「学制百二十年史」「学校給食実施状況等調査」と、給食費の負担軽減のページなどの一次資料をもとに、出来事の年表と、実施率・給食費の推移を1本の年軸に重ねて整理します。扱うのは学校給食法の対象となる学校の給食で、保育所や病院、社員食堂の給食は扱いません。
学校給食はいつ始まり、どこまで広がったのか?
1889年に始まったとされ、2026年で137年。2025年は小学校の98.8%、中学校の90.2%が完全給食。
出典:文部科学省「学制百年史」「学校給食実施状況等調査(令和7年度)」「学校給食費の抜本的な負担軽減」
※ 公式データをもとに、可視化pedia編集部が独自に集計・編集したものです。
本記事は楓が調査・編集しています。掲載情報は執筆時点のものです。数値・制度・サービス内容は変更される場合があるため、最新情報は各公式サイトでご確認ください。
学校給食137年を1枚の年表で見る|出来事8点と中学校の実施率

上の段に出来事、下の段に中学校の完全給食の実施率を置きました。年軸を等間隔のままにしているので、1889年から1932年までの43年の間隔も、そのまま見えます。
※ 公式データをもとに、可視化pedia編集部が独自に集計・編集したものです。
上段の出来事を年軸に置くと、1889年の始まりから次の1932年まで43年の間隔があり、1946年から1956年までの約10年に、戦後の給食の開始、八大都市での完全給食、学校給食法の制定が集まっています。その後は1976年の米飯給食の導入、2008年の学校給食法の改正を経て、2026年の給食費の負担軽減に至ります。
下段の棒は、中学校のうち完全給食を実施している学校の割合です。文部科学省の資料で値を確認できたのは1972年が最初で、1972年の50.6%から1990年に61.3%、2018年に86.6%と上がり、2025年は90.2%でした。出来事が戦後の約10年に集まっているのに対し、中学校の完全給食の広がりは半世紀以上をかけて進んでいます。
明治から戦前|鶴岡町の小学校と1932年の国の補助

最初の給食は、国の制度ではなく、1つの小学校の取り組みとして記録されています。国が関わるのは、そこから43年後です。
文部科学省の「学制百年史」によると、学校給食は1889年10月、山形県鶴岡町の私立忠愛小学校で、仏教の慈善団体が貧困児童の就学を奨励するために給食を行ったのが始まりとされています。鶴岡町は現在の山形県鶴岡市です。
国が学校給食に関わるのは1932年です。経済不況で就学が難しくなった児童を救済するため、訓令にもとづいて国庫から67万円を支出し、学校給食を奨励しました。学校給食は就学の奨励から始まり、国の関与も就学が難しい児童の救済として始まっています。
戦後の給食と学校給食法|1946年から1956年の10年

戦後の約10年は、出来事が最も集まっている区間です。人数と校数を順に追うと、給食の対象が段階的に広がっていった順番が分かります。
1946年12月、文部・厚生・農林の三省次官名で学校給食の普及奨励についての通牒が出され、1947年1月には全国の都市の小学校児童300万人を対象に、週2回の補食給食が始まりました。同じ年の秋からは、米国の援助による脱脂粉乳が配給されています。1949年10月からは、国際連合児童緊急基金(UNICEF)から寄贈された脱脂粉乳による給食も、指定された学校で行われました。
パン・ミルク・おかずのそろう完全給食は、1950年7月に八大都市の児童135万人を対象に始まり、1951年2月には全国の市制地域(1都246市)の児童400万人に広がりました。一方、1951年6月末で占領地域救済資金(ガリオア)による小麦の贈与が打ち切られ、1952年度予算で脱脂粉乳への国庫補助が中止されると、給食を実施していた11,600校のうち約3,200校、児童約800万人のうち約200万人が給食を中止しています。
学校給食法は1954年6月に制定され、学校給食に法律の根拠ができました。1955年8月には日本学校給食会法が制定され、1956年の改正では給食の対象が小学校から義務教育諸学校の全体に広がっています。戦後の約10年で、給食の対象は都市の小学校の補食給食から、法律にもとづく義務教育諸学校の給食へと広がりました。
なお、1947年の対象人数は、文部科学省が2023年に掲載した資料「日本の学校給食と食育」では約290万人と書かれています。同じ文部科学省の資料でも300万人と290万人の2通りの記載があり、本記事は「学制百年史」の300万人で書いています。
牛乳・米飯と実施率の広がり|1958年から1990年

この時期は、給食の中身と実施率の両方が動きます。補助の図では、中学校の給食全体と完全給食の差がどう変わったかを並べました。
1958年の小・中学校の学習指導要領の改訂で、学校給食は初めて学校行事等に位置づけられ、1968・1969年の改訂では特別活動に位置づけられました。飲み物では、1964年度から国内産の牛乳が通年で供給されるようになり、脱脂粉乳からの切り替えが進んでいます。
主食では、1976年に米飯給食が導入されました。米飯給食の平均実施回数は、1976年5月の週0.6回から1990年5月には週2.5回に増えています。米の収穫量や消費量の長い推移は、米の歴史を年表で整理した記事で扱っています。
※ 公式データをもとに、可視化pedia編集部が独自に集計・編集したものです。
1972年5月の給食全体の実施率は、小学校98.7%、中学校83.4%で、小学校ではすでにほぼすべての学校で給食がありました。中学校の完全給食は1972年の50.6%から1990年には61.3%に上がり、給食全体との差は32.8ポイントから21.2ポイントに縮んでいます。2025年は給食全体91.6%、完全給食90.2%で、差は1.4ポイントでした。
食育と給食費|2004年から2026年

2004年以降は、学校給食法などの改正で食育が位置づけられ、この記事で追う数字にも給食費が加わります。給食費は、同じ算出方法で並べられる2006年度からの値を棒にしました。
2004年の学校給食法などの改正で栄養教諭制度がつくられ、2005年に栄養教諭制度が始まるとともに、食育基本法が制定されました。2008年の学校給食法などの改正(2009年4月施行)では、学校における食育の推進が法律に位置づけられています。米飯給食は、2023年度に週3.6回でした(農林水産省「食育白書」)。
中学校の完全給食の実施率は、2018年の86.6%から2021年に89.1%、2023年に89.8%、2025年に90.2%となりました。2025年5月時点で、全国9,712校の中学校のうち8,762校が完全給食を実施しており、完全給食を実施していない中学校は950校です。
※ 公式データをもとに、可視化pedia編集部が独自に集計・編集したものです。
公立の完全給食の平均月額は、小学校が2006年度の3,913円から2025年度に5,196円、中学校が4,540円から6,013円になりました。2023年度から2025年度の上昇率は小学校11.6%、中学校11.8%です。いずれも、2025年度調査から算出方法が都道府県別の学校数による加重平均に変わったことを受け、文部科学省が2006年度まで遡って再計算した値です。
2026年4月からは、国が公立小学校(義務教育学校前期課程と特別支援学校小学部を含む)の給食の食材費を地方自治体に支援する「学校給食費の抜本的な負担軽減」が始まりました。完全給食の基準額は児童1人1か月5,200円(特別支援学校小学部は6,200円)で、年間11か月分です。食材費が基準額を超える場合は、超えた分を保護者から徴収できるとされています。
給食費の月額は2006年度からの19年で小・中学校とも1,000円以上上がり、2026年度からは国が基準額をもとに自治体を支援する仕組みが加わりました。基準額は国の支援の基準で、調査による平均月額とは性格が違う数字です。教育にかかる費用の推移は、学費の推移を図解した記事で見ることができます。
学校給食の年表|1889年から2026年まで

主な出来事を年の順にすべて並べました。年表図では8点に絞った出来事も、ここでは1行ずつ確認できます。
楓のまとめ|137年の年表と実施率・給食費の数字

年表と2つの数字を並べてきました。最後に、3つの観察事実に整理してみます。
学校給食の歴史は、制度の年、実施率、給食費の3つの物差しで見ると、それぞれ違う時期に動いています。どの数字が良い悪いではなく、いつ何が変わったかを観察事実として並べておきます。
3つを重ねると、学校給食は戦後の約10年で制度の骨組みができ、その後の半世紀で中学校の完全給食が広がり、2026年からは給食費の負担の仕組みが変わり始めた、という順番で見えてきます。「給食の歴史」は、始まりの年だけでなく、制度・実施率・給食費のそれぞれが動いた年を並べることで、137年の流れとして読めます。
よくある質問(FAQ)

給食の歴史を調べるときに出てきやすい疑問を、資料に書かれている範囲でまとめました。数字は、学校数に対する割合か、児童生徒数に対する割合かも確かめてください。
Q1. 学校給食はいつから始まりましたか?
文部科学省の「学制百年史」によると、1889年10月に山形県鶴岡町の私立忠愛小学校で、貧困児童の就学を奨励するために給食を行ったのが始まりとされています。国が学校給食に関わり始めたのは1932年、学校給食法の制定は1954年です。
Q2. 完全給食とは何ですか?
主食(パンまたは米飯など)・ミルク・おかずのそろった給食のことです。ミルクとおかずの給食は補食給食、ミルクだけの給食はミルク給食と呼ばれます。2025年5月時点で、完全給食を実施している学校の割合は小学校98.8%、中学校90.2%です。
Q3. 給食費は月いくらですか?
文部科学省の調査では、公立の完全給食の平均月額は2025年度に小学校5,196円、中学校6,013円です。年間の食材費相当額を11か月で割った値で、2025年度調査から算出方法が変わり、それ以前の年度も同じ方法で再計算されています。
Q4. 給食費は無料になったのですか?
2026年4月から、国が公立小学校の給食の食材費を地方自治体に支援する「学校給食費の抜本的な負担軽減」が始まりました。完全給食の基準額は児童1人1か月5,200円です。食材費が基準額を超える場合は、超えた分を保護者から徴収できるとされており、自治体によっては保護者の負担が残る場合があります。
Q5. 1947年に給食の対象になった児童は何人ですか?
「学制百年史」は、1947年1月に全国の都市の小学校児童300万人を対象に補食給食が始まったと書いています。一方、文部科学省の資料「日本の学校給食と食育」(2023年)では約290万人と書かれており、資料によって2通りの記載があります。
Q6. 米飯給食はいつからですか?
米飯給食は1976年に導入されました。平均実施回数は1976年5月に週0.6回、1990年5月に週2.5回で、2023年度は週3.6回です。
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